平田の渡し
昭和45年、豊里大橋開通とともに300年続いた平田(ひらたではなくへいた)の渡しがなくなりましたが、毎週乗船してました。
その頃、こっち岸からあっち岸(守口市・旭区方面)に渡ると、ものごっつ都会に来た感がありました。千林商店街は、こっち岸の豊里センター(今のサボイ)しかなかったものにとってはまさにワンダーランドでありました。じつはその豊里センターという公設市場もなかった頃も覚えており、上田商店(八百屋さん)しかなかったので、大阪経済大学横のミリオンマーケットでの買い物が夢のような世界だったのです。
当然、「梅田」ちゅうとこへ出かけるのは一家の一大イベント、必ず一張羅を着せられました。その頃の子供にとって、阪急百貨店の屋上はUSJ以上の楽園だったのです
ロッキーバルボア